情報発信コラム:スペースクリエーション アイ

コラムトップへ戻る

第 12回 スペースクリエーション アイ
古戦場の歴史と新たなライフスタイルが共存する長久手

2012年7月
タテヤマアドバンス 商業施設営業部長 猪谷 聡

 私が2010/6〜2012/5までの2年間在任した名古屋支店のある町をご紹介します。

 日本の歴史上、政治的色彩の極めて強かった「小牧・長久手の戦い」をご存知でしょうか?  歴史に「もし・・」はありませんが、この戦いの勝者が違っていたら、日本の歴史が大きく変わっていたかも知れません。歴史を紐解きながらわが名古屋支店のある町を散策すると新たな発見ができるかも知れません。

 天正10年(1582)、信長が本能寺の変で没した後、後継者争いが起こりました。有名な豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)と徳川家康が戦った小牧長久手の戦いです。町にはたくさんの史跡が今も残っています。この戦いで秀吉は家康を完全に屈服させることに失敗し、武家の棟梁(東国の支配者)である征夷大将軍、すなわち幕府開設への道が閉ざされ、後の政治史へ大きな影響を及ぼすことになりました。

 秀吉は家康を屈服させられず、後に北条氏を征服することには成功したものの、終始家康に対する不安と懸念の解消は果たせなかった。その為、家康が秀吉に臣従した後も秀吉一門衆筆頭である豊臣秀長と同時に官位を上げられ、豊臣政権内の最上席を占める大名として扱われるようになりました。秀長、秀次の死後には内大臣となり、武家・公家の最上位を占めました。後の徳川幕府への道はここから始まっていたとも言われています。

 さて現在の長久手市ですが、2005年日本国際博覧会「愛・地球博」(愛知万博)の開催地であり、愛知郡長久手町に属していましたが、2012年1月4日に市制施行されています。2012年4/末データでは、面積21.54㎢、人口50,792人(男子25,318人、女子25,474人、20,315世帯  2005年比112%)で堂々たる名古屋市のベットタウンになっています。また大学も多く(愛知医科大学、愛知県立芸術大学、愛知淑徳大学、愛知県立大学)文化と歴史がすぐ近くにある仕事と生活の場に大きく変貌しています。

 人が増えれば道が出来、店や施設が増え、町ができます。人が増えるといえどもターゲティングができる程の極端な人口増加ではなく、人口減少の社会現象の中でも人口が増加している町がどんな風に育つのか興味深く観察しています。今、求められる“コト”が、“目を凝らし”、“耳を澄ませば”目の前でおこっているかもしれません。

 長久手市は、市街化された街と自然豊かな田園の両面をもち、木々が生い茂る公園が多く、住民の憩いの場がたくさんあります。名古屋中心部からも公共交通機関で≒1h弱、車でも40分もあれば着きます。町全体に「サードプレイス」になる要素がたくさんあり、新たなライフスタイルの実現に適している場所でしょう。“この指とまれ”発想による新たなクラスターがたくさん育つかも知れません。

 日本を築いた歴史を持ち、わざわざ人工的に作らなくても居心地のよい場所がたくさんある、若々しく成長している町の進化を楽しみに見守りたいと思います。

 そして是非この若々しい町づくりに関わる仕事をしたいと強く思います。


長久手市に残る古戦場跡

血の池公園にいわれを書いた碑

万博公園

田園風景

リニモが走る町(車好きには垂涎の的、トヨタ博物館前)

文化との共存(愛知県立芸術大学)

古戦場前の風景(サイクル、車など趣味の店が並ぶ)

広い道路の両側には、好みの生活が選べる店が並ぶ(美味しいパン屋・・)

家まで続く小路

このコラムを読んで、“「愛・地球博」から7年も経過していた”と気づき、当時の様子を思い浮かべてみた。持続可能な社会へのテーゼが盛り込まれた博覧会は、その後の環境配慮技術だけではなく大きく生活文化に影響を与えた。その舞台となった長久手には、豊かな自然環境に加え昔の貴重な歴史があり、そこに新しいヒューマンスケールの街が築かれたようだ。街の個性や文化を尊重しながら楽しむライフスタイルには、公共空間から建物、商業店舗、看板に至るまで一貫したスペースクリエーション・アイの技が欠かせない。1つのサインであっても、それが街を構成する貴重なキャラクターであることを私たちは大切にしたいものだ。
(商い創造研究所・松本大地)

ページトップへ